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zoom RSS 嫌われ者だった私

<<   作成日時 : 2017/08/09 05:32   >>

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2017,7、やまゆり園事件1周年に寄せて

実は、私が最近気が付いたことがあります。私は、中学に行くまで自分の言動が人にどう思われるかということを考えたことがなかったことに気が付いたのです。それで中学に行くまで相当嫌われていました。中学に行くとき品川区の第二延山小学校小学校から目黒区立第9中学に行ったので、知り合いがなく、今度こそ一転して、みんなに好かれる自分になろうというようなことを考えていたのですが、中学に行ってすぐ、担任の先生に呼び出されて言われました。
「君のことを僕は好きだから言うのだけど、・・・・」という前置きがあって、その後は、これこれのことはしない方がいい、言わない方がいい、という「注意」なのです。それを聞いて初めて人がどう思うかということに気を使うことになったのでした。

実は、私の母親は死ぬまで、人がどう思うかということは考えられない人だったみたいです。私が理事長をしている施設、ケアハウス鈴懸、グループホーム桐の花、に入居していたのですが、どちらの施設でも彼女の発言は嫌がられていました。例えば、お風呂に入って人の背中にあざを見つけると「どうしたの?」と聞いたりするので、それが嫌な人は、彼女とぶつからない時間を選んで入浴していたそうです。

これっていかにも秩子みたいではないかしら?そんな母に育てられたので、今の私があります。
それでつらつら考えるに、小学校でも中学校でも私と遊んでくれる友達がいました。小学校で仲良くしていた飯田さんという友だちは、高校3年の時に私の親が転勤で名古屋に行ってしまった時に、手を貸してくれた恩人です。私は、自分の家を人に貸して、そこの一間に下宿して賄をしてもらっていました。その頃(今もそうですが)ものすごくたくさんご飯を食べるので、そこの家の人は困っていたようなのです。ある時、私が「お代わり」と皿を出したら、そこの家の4歳の男の子が私の皿の中に足を突っ込んで「駄目!」と言ったのです。これはものすごくショックで、ここには住んでいられないと名古屋に行くことを考えました。親は、公立の高校は見つからないけど私立の女学校を見つけてくれました。その話を聞いた飯田さんは「うちに住むことにしない?一部屋あいているから」と言ってくれました。彼女の家は、お父さんが亡くなっていて、母子家庭。お母さんが、「いくら仲が良くても一緒に住んだら、うまくいかなくなるから」と言って心配してくれたのに、「私たちに限って大丈夫」と言って、6月に彼女の家に引っ越して下宿人になったのです。それから私は受験勉強、彼女は就職試験。という生活になったのでした。そして受験の結果が発表されるとき、私は落ちたと思ったので、夜中の発表を見に行かず、夜中のラジオを聞いていました。そうしたら、彼女も聞いていて、私の名前が聞こえたら、とんできて、「おめでとう」と言ってくれ、翌朝発表を見にいっしょに行ってくれたのでした。

この話をしたら、宇洋が「すごいね、自分の家に住まわせてくれるなんて」と言います。そうだ、と思って私は彼女に電話しました。そうして感謝の意を伝えた後、聴いたのです。「私って、人がどう思うか考えないで何でもしゃべるから、ヤナ奴だったでしょ?どうして付き合ってくれていたの?」その返事に驚きました。「あなたが何でもはっきり言うってことがうらやましかったの。私はすぐに人のことを考えてしまうから」というのです。すごいですね。小学校の時から、そんなことを思えるなんて。彼女が「おとな」だったから、私を呑み込んでくれていたんですね。欠点というのは、別のところから見たら長所になるのですね。


やまゆり園のことで言うと、ぷれジョブ創始者の西幸代さんの発想が素晴らしいと思いました。重度の障がい児者は、人にものを考えさせるジョブをしている、というのです。

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