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zoom RSS 研修旅行(参議院協会による)

<<   作成日時 : 2017/05/25 22:31   >>

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2017,5,18        於、千葉県千葉市、香取市など

参議院協会で毎年日帰り研修旅行をしています。今年は、千葉県で、興味深いところがあり、行ってきました。
18日朝8:30参議院発なので、前日最終新幹線で大宮まで行ってホテルに泊まりました。11:30に駅前のホテルに着いたら、シングルはないという。その時、私の前に一人の女性がいた。二人の目があって、どちらからともなく「一緒に泊まります?」OKということになって二人でツウィンの部屋に泊まりました。彼女は台湾から来たフリーのジャーナリストでした。日本の大学を二つも出ていたので、日本語は問題なし。寝ただけなので、何事も起らず、このホテルは朝食は、近くのマクドナルドで食べる券をくれたので、朝は一緒に食べに行って別れました。

さて8:30、22人のメンバーで、出発して1時間半。(株)OXエンジニアリングという中小企業の工場で、車椅子を作っているのを見ました。この会社は、全国に5か所工場があり、新潟県にも、長岡工場があります。車いすは全部特注で、生活用と、競技用があります。年間250台の生産で、その1割が競技用、残りは生活用とのこと。千葉の工場は、競技用のみを作り、長岡は、生活用を作っているとのこと。競技用の場合には、本人の寸法をかなり詳しく取って、1ミリまでを正確に仕上げます。平均値段は300万。生活用は、30万とのこと。本人の寸法と細かい希望を書いた紙を見て、現場が作るのですが、洋服で言う「仮縫い」のようなことをして、ピタリと合う製品を作るのです。

ここの工場は、40年前に石井重行さんが、バイクの生産工場として設立。ところが、その石井さんが、事故で頸椎損傷となり、自分にあった車椅子を作ったことが始まり。その石井さんの息子さんが今では社長を務め、私たちへの説明も社長がしてくれた。こちらは22人のメンバーで、そのような見学者を座らせる部屋がないので、立ったままで聴いていたのだが、質問が次から次に出るので、時間がオーバーしてしまった。「お年寄りの皆さんと聞いていたので、こんなに質問が出るとは思っていなかった」と社長さん。車いすの枠組みはパイプで作られるのだが、それはアルミニウムで作られている、でもマグネシウムの方がアルミニュウムより軽いので、そちらでできたらと実験を重ねている。マグネシウムは、引火しやすいので、そこが難点とのこと。外国からも注文が来るが、メンテナンスができないので、断っているという。パラリンピックの選手の方も何人か使っているとのこと。テニス、陸上、バスケ、など用途によって皆違う型をしている。

出来上がると耐久性のテストをする。そのテスト用の機械も自社で開発したりしている。この工場では、35名が働いている。長岡でも35名働いているが、燕三条などの金属加工の職人さんたちに助けてもらっている由。戻ってきて工房とんとんでこの話をしたら、すぐにでもオーダーを申し込みたい人もいるそうです。

新緑の空気を吸って、実にさわやかな研修旅行となりました。
午後は佐原に行きました。ここは元佐原市でしたが、合併して香取市になっています。香取市というのは、香取神社からの由来です。この日一緒に行った中に岩瀬良三さんがいて、この方は、元佐原市長だった方。実は、見たこと有る顔だと思って調べてみたら、2001年に千葉知事選挙に自民党から出て、堂本暁子さんに敗れた方でした。

茨城県境にある佐原には、小さな川が流れていて、それが利根川の支流で江戸につながっていたことから、かなり富が回ってきていたようです。今でもその川に岸まで階段がついていて、昔荷物を運ぶのに使った階段とのことでした。車も汽車も自動車もない時代、舟が唯一の交通手段でした。ここらのあたりで取れたコメなど、農産物を積んでいって、江戸からは、財宝などを積んで帰ってきていたようです。この川には柳が垂れ下がっていて、周りの家々は昔ながらの風情が保存されています。

伊能忠敬については、昔、「50歳から新しい人生を始めた人」ということで、情報を得ていたので、興味を持ち続けていたのでした。

伊能忠敬は、小さい時にお母さんが亡くなって、父親が育てて数年で、養子にやられ、17歳の時に、伊能家に婿養子として入った。伊能家は造り酒屋でもあったので、かなりの富が蓄えてあり、その上、彼自身がかなり蓄えることができた。49歳で隠居し、その前からたくさんの本を読んで天文学の勉強をする。地球の周囲は、何メートルなのか?ということからコトが始まります。360度で一周だから、足で歩いて、1度分を測って、360倍して予想を示したのだそうです。

1795年、50歳で江戸深川に住み、自分の子どもと同じぐらいの年齢の幕府の天文方(学者)高橋至時(よしとき)に入門。5年後に東北北海道南部の測量を始める。おともには2〜3人ついているだけ。その頃、ロシアからの侵略が心配されていたので、幕府が東北北海道の地図を欲しがっていた。関東北陸東海ぐらいまでが終わっていた59歳の時に、幕府から登用される。そうなるとたくさんのお供がついて、関西から西を綿密に調べ上げることができた。実に綿密な地図がとてつもなく大きな紙に描かれており、足で歩いて測量したと思いながら見ると実に感慨深いものがあります。瀬戸内海の島も伊豆7島も描かれており、海を渡ることの困難も想像します。73歳でなくなりますが、71歳まで測量を続け、彼没後5年でそのどでかい地図が完成したのでした。
沖縄は入っておらず、屋久島まででした。壮大な「夢」と付き合わせてもらえた豊かな時間でした。





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